【撮っておきの1冊】水晶萬年筆【6撮目】

こんにちは書漂家のクロギタロウです。みなさんお変わりありませんでしょうか。

今日も今日とて面白い本を探してフラフラしております。
さて、あまりの暑さにうんざりしていたので、読みながら涼をとれるような1冊をみなさんにお目にかけたいな、選びたいなと思っていました。真夏の定番といえばという事で、身の毛もよだつ怪談という選択肢も頭をかすめ……。

ましたが、せっかく平成最後の夏なのだから、ぶるぶる震えるよりは爽やかに涼しくなりたいと思い、最近個人的にハマっている吉田篤弘さんの『水晶萬年筆』を撮影・ご紹介することにしました。

撮っておきの1冊 クロギタロウ 書漂家 本 読書 水晶萬年筆

リアルと創作の境を消失させる男

”水晶萬年筆”

なんと美しい言葉でしょうか。
タイトルを脳内で反復するだけで体感温度が1℃は下がるような効能がありそうです。どうしようもなく暑いと感じたら心の中でこのタイトルを念じることをオススメします。

さて、「水晶」に濁りのない透明性を、「萬年」に永遠を、「筆」に作家性を含有するこの素敵すぎる言葉を標題に選んだ、吉田篤弘というイカした御仁についてご説明することにいたしましょう。

吉田篤弘さんは1962年東京のお生まれ。妻である吉田浩美さんとの共同名義「クラフトエヴィング商會」としての活動もあり、著作・装幀をされており、2001年に講談社出版文化賞・ブックデザイン賞を受賞されています。

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主な著作に月舟町三部作として知られる『つむじ風食堂の夜』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』が挙げられます。『つむじ風食堂の夜』は八嶋智人さん主演で2009年に映画化も。

この方の作品には、一度その空想世界に入り込んだが最後、現実世界に戻ってくる気が失せるほどの中毒性が秒で全身に巡ってしまうほどの「素敵世界構築力」があるのです。
上記の三部作なんか、自分が町の住人になったと勘違いして、役所の書類に住所を月舟町と書いてしまった読者がいるとかいないとか(流石に嘘です)

しかし、氏は著作の中だけでなく現実世界にも「設定」を食い込ませるため、もはや彼の周りではリアルと空想の境が曖昧にとろけてしまっています。上述した「クラフトエヴィング商會」ですが、実際にユニットが結成されたのは1994年。
しかし「設定上」は明治30年に創業しており、篤弘・浩美の両名は3代目に当たるのだそう。

さらに。

極めつけに、1999年に二人の娘「吉田音」の著作として『Thinkー夜に猫が身をひそめるところ』が出版されているのですが、なんとこの娘さんが”実在しない”というから驚き。娘すらも「設定上」の存在として生み出してしまう吉田篤弘という男は、物語世界を立ち上げる達人中の達人。生み出された世界は、どれもこれもが読者の心の奥底のエモーショナルな部分を刺激してやみません。

お恥ずかしい話なのですが、僕が氏の作品を読み始めたのは2018年になってから。一読ノックアウト、以来ぞっこん、ドハマりしてしまい、書店で見かけるたびに氏の作品を買い集めています。

実は、この記事を書いている只中においても新たに3冊を買い求めています。そんな物語の魔術師が、本書においては6つの世界を創造しています。贅沢な話で、ありがたいことです。

撮っておきの1冊 クロギタロウ 書漂家 本 読書 水晶萬年筆

タイトルと中身で二度美味しい

以下に本書において築き上げられた世界を一覧しておきましょう。

「雨を聴いた家」

「S」の1字が物語の胎動を予感させる、甘美な水の物語。本書の中で、最も面白いと感じた作品なので、後ほど詳しくご紹介します。

「水晶萬年筆」

表題作。
街にこぼれた影を描き暮らす、絵描きの青年オビタダ。影こそが実世界の証明であり、照明。

哲学かよーと思わせつつも、ヒロインの営むおでん屋で名物の「つみれ」に舌鼓を打ち、銭湯でのんびりするオビタダの姿に心が緩む、構成の強弱が心地よい物語です。

おでん、影、絵、そして銭湯が二人を少しずつ近づけてゆき、物語のクライマックスで言い合うその言葉が、とても奥深い。

もう半分はどうなってるんです?

陰と光、女と男、世界の片割れ同士が発しあうこの問いは、これまでに幾度となくなされ、これからも永遠に繰り返されるのでしょう。

「ティファニーまで」

他の作品とはテイストを異にした作品。
まだこの世界にない新しい言葉を生み出し、それらを集めた辞書を作ろうと日夜「新語」の研究を続ける師匠。

そんな師匠と「つけられるものなら坂にだって文句をつけたい」弟子のサクラバシ君との掛け合いが混乱に拍車をかけてきて、思う存分脳みそをシェイクできます。

以下に「胸が高鳴る」から考えついた「胸が低鳴る」という言葉を使う場面を引用してみましょう。
ランチを求めて二人は坂をのぼります。

”「ちょっとドキつきますね」

ようやく坂を上りきり、サクラバシ君は私の弟子らしくさっそく新語を活用してみせた。

「確かに。今日はちょいと無理をした。低鳴るを越えて中鳴るに達した」

「なかなる?」サクラバシ君は不審そうに私の顔を見る。

「いや、物事には常に中間というものがある。大か小かで悩むのはナンセンスだ。その間にあるものを忘れてはならん」

「では、中鳴ると高鳴るではどのくらい違いがあるんです?」

サクラバシ君はこういう細かいことをいちいち気にする。「イチつく」男である。

「そんなことは心臓に聞いておくれ」

私は細かいことを気にしない大らかなタイプ。いや、これはいささか誇張し過ぎなので「中らかな」と言い直そう。

「どうしてそんなに次から次へと言葉を作るんです?」

終始二人はこんなトンチンカンな調子なのです。しかし、師匠はいたって真剣。どうして新語を作るのかと尋ねられた師匠はこう答えます。

「言葉さえあれば、そいつに物事が従うのだ」

このセリフ、以前ご紹介した山尾悠子『夢の遠近法』にあった「誰かが私に言ったのだ。世界は言葉でできていると」と通ずるものを感じます。「言葉使い」吉田篤弘が普段何を考えながらこの世を渡っているかを垣間見ることができる作品だと、勝手に思っています。

撮っておきの1冊 クロギタロウ 書漂家 本 読書 水晶萬年筆

「黒砂糖」

とかく心を揺さぶるセリフが多い印象。
”黒子に徹するため、黒砂糖を食らって生き(中略)黒い上着のポケットに、いつもその黒く甘いかたまりを隠し”持って月夜の街に植物の種を撒いていた伊吹先生。

今は亡き先生から真っ黒な「夜の上着」を受け継ぎ、新たな「種撒く人」となった「僕」先生の言葉を思い出しながら、夜を往きます。

”「夜を拾うんだ、吉田君」

先生は事あるごとにそう言っていた。

「ピアノから黒い鍵盤だけ拾うみたいに。

そうした言葉が、黒砂糖を丸ごと呑み込んだように、今も僕の腹の中にある。あんな人はもう二度と現れない。ただ先生の言葉だけが、黒光りしたままこの腹に宿っている。”

正直なところ、詩人であり「世界でただ一人のファンファーレ専門の作曲家」だった伊吹先生の口から溢れた言葉の数々は、どういう意味なのか今の僕には分からないものの方が多いです。ただ先生の「夜」に対する憧れや偏愛がチラ見えする言葉は不思議と心に染み入ります。

”ある時は「彗星」について、ある時は「夜会服」について、ある時は「誘蛾灯」について、ある時は「夜行列車」について。いずれも、夜をめぐる様々な事象を語り、音楽家とは別のもうひとつの先生の顔がそこに炙り出された。

「つくづく私は夜が好きなのだな」

自身に確認するように呟き、「私が心底、ファンファーレを捧げたいのは、これすべて夜に息づくものだ」”

傑作『つむじ風食堂の夜』もそうでしたが、夜と吉田篤弘は非常に相性が良いと思います。

エネルギーに溢れた太陽の光を一旦その身に受け止め、柔らかく反射させる月のように、穏やかな文章を紡ぐ吉田篤弘の妙味を味わい尽くせる良作。
世界が寝静まったのを見計らって読めば、一発でその虜になること請け合いです。

「アシャとピストル」

この世にあるのかも分からない「買えないものを売ろうとする」男アシャとその周辺。

怪しいやつしか出てこない。
意味わかんないです。
マジで。

読んだら判りますよ。

「読んでも意味わかんない」って。

「ルパンの片眼鏡」

”かつてルパンと呼ばれた男がぼくの住むこの街で隠居を決め込み、路地の奥の一軒家に女のひとと普通に暮らしていた”という書き出し。
著者がこの世界に対して抱くやるせなさを、隠居のルパンに託しているのではないか。そう思わずにはいられないほど物語の全体に哀愁が漂っています。

探偵には分からんだろうが俺たちには分かってる。もうこの街には盗るべきものが何にもねぇ

盗むものがなくなった老怪盗がどうするのか、見ものです。どの物語も、タイトルの段階で実に魅力的。読むまえに立ち止まって「それにしてもこのタイトルはどういうことだろうか?」と一考し、自分なりのタイトル感を抱いて読むと、より一層楽しめるかと思います。

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十字路は手ぐすね引いて待つ。そして現実世界を侵食してゆく

上述した6つの小説は2003年から2005年にかけて朝日新聞社『小説トリッパー』に連載されていたそうです。今回僕がご紹介しているのは中公文庫版ですが、単行本としてまとめられた際のタイトルは『十字路のあるところ』でした。その名の通り、各話には「十字路」が必ず配置されています。

”単行本のタイトルどおり、東京の路地=十字路のあるところを歩き、話の骨格になる風景を拾い集めました。六つの話はいずれも現実の東京の街を起点にしています。築地、白山、根津、尾久、千住……等々”

(あとがきより)

そして歩き回った先で「見つけてしまった謎を前にして困惑」していたのだそうです。

これはいけませんねえ。

世界と創作を一旦融解させて再構築するこの人に現実世界を歩かせては、危険ですよ。

進行する物語の舞台となる街の風景は、どれも僕たちの知っている現実世界とほんの少しだけズレています。

聞きなれぬ言葉を生み出す天才吉田篤弘は、不思議な言葉たちを、路地の片隅に配置してまわります。あたかも「黒砂糖」の月夜に街のあちらこちらに種を蒔く主人公のように。

どこにも破綻や不都合な点は見当たらないのに、絶対に僕たちの暮らす日常とは違う。何が違うんだろうと、不用意に路地を覗き込んだが最後、常に四方へとその腕を伸ばして獲物がやって来るのを待ち構えていた十字路の餌食となってしまいます。

十字路という蜘蛛の巣にからめ取られた読者は、もう二度と元いたとおりの日常に戻ってくることはできないでしょう。

蜘蛛の巣、クモ…スパイダー……イニシャルは……「S」

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すべてが「S」になる

本書に収められた小説の中で、僕が最も美しいと思ったのが「雨を聴いた家」です。映画の脚本を書くよう頼まれた主人公の物書きは、行く先々で「何か」を暗示するように先回りするアルファベットの「S」に導かれて「何か」へと近づいてゆきます。

打ち合わせで向かった制作事務所、古馴染みの編集者の名前にまつわりつく「S」。脚本の参考にするために会った〈水飲み〉の持つノートの表紙には「S」の文字(水の甘さ=Sweetが記されたノートなのです)

甘い水を吐き出す「蛇口」の位置を記したノート上の地図では、「S」の字が蛇のようにうねり、〈水飲み〉は話しながらしきりに唇を蛇のような舌先で湿らせる。甘い水を求めて移り住んだ、雨が降ってばかりの街の十字路では「銀色=Silver」の雨合羽がひらめき、翻弄される物書き。

あらゆる間隙を狙いすまして各所に配された「S」が「S」を呼び、結びついて、最終的に全ては「S」へと収束します。物語はこの本の「始まり」を告げるのにふさわしい「結末」を迎えるのですが、そこまでの持って行き方があまりにも見事。

通常、作品内に何らかの「言葉の縛り」を設けた場合、文章の進行がつまづいたり、不自然な言動や場面が挿入されてしまったりと、小説世界は破綻してしまいがち。

しかし最後の一文にたどり着くまでその極点「S」を想起させないまま読ませる、著者の妙技にはただただ脱帽です。

そして僕の世界は「雨を聴いた家」内の「S」を拾い拾いしながら読み進めていくうちに、吉田篤弘の生み出した創作世界にあてられてしまったようです。

変ですね。

「S」が散りばめられていたのは、本の中の話なのに、どうして僕の目の前には「S」の文字があるのでしょうか。

撮っておきの1冊 クロギタロウ 書漂家 本 読書 水晶萬年筆

僕は今現実と虚構のどちら側に立っているのでしょうね。

主な撮影場所 Quiet Holiday(姫路)

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この記事を書いた人

クロギ タロウ

1990年、宮崎県生まれ。大阪大学文学部卒業。紙の本を愛し、日々書物の海をただよう書漂家。在学中、2年間休学し小説執筆に挑戦。物語を生み出すことの難しさを知り挫折するも、ますます本を愛するようになる。卒業後は兵庫県の電気メーカーに就職。2018年より、写真と文章で、本を楽しむ人を紹介する「撮っておきの1冊」という活動に着手。本好きで、お話を伺える方を募集中。