【撮っておきの1冊】どこから行っても遠い町【5撮目】

タイトルの「どこから行っても遠い」ってどういうことだろう。
そんなことを考えていたら、読み返すのに1ヶ月かかってしまいました。

どうもこんにちは、書漂家のクロギタロウです。
突然ですが「遠い」という言葉を耳にしたとします。さて、どんなイメージが頭に浮かんできましたか?

「遠い」という言葉を聞いて、皆さん考えることはバラバラだと思います。

空間的なニュアンスの遠さを思い浮かべる人。
心理的な関係性を表す遠さを思い浮かべる人。
はたまた、時間的な隔たりを思う人。

他にも僕の思いつかないような「遠い」があるかもしれません。人それぞれだと思います。
人の数だけ「遠い」があってもおかしくはない。

ですが「遠い」という言葉に「どこから行っても」とくっつけたらどうでしょう。
途端に言葉が破綻します。意味的におかしなものに変質しています。

「どこから行っても遠い」

ふーむ、変ですねえ。遠い対象がなんであろうと、遠さを観測する人の立ち位置はバラバラでしょう。町から100km離れた人が「町まではまだまだあるなあ」と感じるのは頷けます。でも町まで1歩の場所にぽつねんと立っている人が額に手をかざして「町まではまだまだあるなあ」と思うことが、果たしてあるでしょうか?

うーん。

撮っておきの1冊 クロギタロウ 書漂家 本 読書 どこから行っても遠い町

谷内六郎さんのカバー装画を眺めて悩むばかりで、ちっとも本編が進みません。だって、気になりませんか「どこから行っても遠い」という不思議な表現。意味もなくこんなタイトルつけないでしょう。

なにか、ある。

というわけで今回の撮っておきの1冊は、梅雨に関係する本を探している最中、雨降りの表紙に惹かれて手に取ったにもかかわらず、タイトルの謎に意識を持っていかれてしまった、川上弘美『どこから行っても遠い町』です。

こんな厄介なタイトルをつけた人について

著者の川上弘美さんは1958年、東京生まれ。
大学在学中にSF雑誌に短編小説の寄稿を開始。1994年に短編「神様」で第1回パスカル賞を、96年「蛇を踏む」で芥川賞を受賞。その他にもいくつもの文学賞を獲得している、日本でも指折りの女流作家です。

2014年公開竹野内豊主演の映画『ニシノユキヒコの愛と冒険』も川上さん原作。複数いるヒロインの中でも本田翼さん、木村文乃さんが可愛かったです。僕も今生で徳を積んで、来世こそは竹野内豊に転生して、全女性にモテたいです。

すみません、どうでもいいことで文字数を浪費してしまいました。

気を取り直して申し上げます、僕は川上弘美さんの作品が大好きです。川上作品はよく「空気感」という言葉で以って評されるようです。直接的に物事そのものを描写するのではなく、時にまどろっこしくなるほどに距離をとって伝えたいテーマを形にするのが、その所以ではないかと僕は思います。
そこには僕の敬愛する内田百閒先生の影響もみられるといい、日常の風景にするりと幻想的な世界を滑り込ませるのが非常に巧みな作家だということができます。
幻想的な雰囲気がお好きな方には『龍宮』、『真鶴』、『パスタマシーンの幽霊』などがオススメです。

町の中心はいずこ?

一方、本書では幻想的な雰囲気というものを味わうことはできません。11の短編から成るこの本はそれぞれ、その町の住人の視点で見た町の暮らしが描かれており、特に不思議な事件が起こることはありません。

舞台は”都心から私鉄でも地下鉄でも二十分ほどという、しごく便利な土地”にあり、”マンションやアパート、一戸建ての住宅が、ごちゃごちゃとまじり建っている。人口が多いせいか、大型のスーパーマーケットが一軒、中型のが二軒あって、どこも繁盛しているらしく見えるにもかかわらず、商店街の小店もつぶれたりせずにそれなりに善戦している”そんな町です。

確かに不思議なお話とは無縁そうな舞台設定。各話の語り手もいたって平凡などこにでもいる人たち。予備校の英語教師、チャラい父親と二人暮らしの高校生男子、ひょんな偶然が重なり職を転々として介護士になった男、何度もいい仲になったり離れたりを繰り返す板前とおかみさん、関係を曖昧なままにしておきたい男と事を決めたがる女。
そんなどこにでもいる人たちによって語られる、どこにでもある話。

はっきり申し上げまして、ここだ!という盛り上がりの頂点というものはありません。全編を通しての核となるようなストーリーやキャラクターも、どうも見当たらない様子。一応共通していそうなのは、川上さんの得意とする、かすかにあやうい匂いの漂う色恋沙汰という要素くらい。(川上作品には浮気な男女がよく登場します)
語り手はめいめい好き勝手に、自分の目の届く範囲の誰かさんや日々のあれこれについてぽつぽつと述べるのみ。「どこにでもいる人々」が「どこにでもある話」を語るのですから、そこに過剰な演出やドラマチック成分が入り込む隙間はありません。

11人それぞれが1人称視点で語る内容を総合しても、彼らの暮らす町の輪郭はどこかぼんやりとしていて、はっきりと見えてこないのです。

町の「目印」となるような建物や場所、人物の不在。
それは本書においては明らかに意図されていると、僕は感じました。
読んだ人に強い印象を残さない、のっぺらぼうな町を描くことで、川上さんは読む者にどこか「遠さ」を抱かせる町を立ち上がらせているのです。

でも、いったい何のために…?

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イイネ!の時代に僕たちは疲れているのかもしれない

11人の語り口も、この小説の独特のものがあります。無印良品のプロダクトのように、余計な装飾を排した彼らのプレーンな叙述。「長い夜の紅茶」の語り手、一男一女の母親も自身の性質を想い、言います。

”もしかするとこれは「悟り」の境地、「無」の境地なんじゃないかしら”と。

さもありなん。 どこか他人事に感じられるほど淡々と、身の回りに起こる出来事について語る彼らの姿は、鏡面のように穏やかな湖面を滑る小舟を思わせます。

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それに対し、ハラハラドキドキ摩訶不思議、過剰にスリリングで刺激的なモーターボートじみたコンテンツは”電信柱の電線を、電気がものすごい勢いで走っていくみたいな感じ”(「夕つかたの水」)を提供してくれます。
そういうモノには分かりやすさという、ある意味での読者への「近さ」が求められています。秒速で消費者に受け入れられなくては、すぐ後方に次が控えているため、圧倒的な分かり易さ、共感のしやすさ、つまり「イイネ!」の付け易さを身にまとうことのできたコンテンツが生き残る領域です。
そのため、「イイネ!」な感じのモノたちは、僕たちの側から求めていかなくともすごい勢いで向こうから押し寄せてきます。

押し寄せる「主人公」たちの怒涛に毎日晒されていては、どんなに強靭な胃袋に恵まれていたとしても食傷気味になってしまうのも無理からぬこと。

みなさん、そろそろ、休みませんか?

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イイネ!が付かないからといって、良くない訳ではない

電撃のようなエンターテインメントに麻痺し、疲れ果てた僕たちは、いつの間にか随分と「遠く」まで来てしまったようです。流浪の果てにたどり着いた「どこから行っても遠い町」の意味を考える日々。のっぺらぼうなこの町で、静謐な人々に接するのは、刺激に慣れた僕たちは最初物足りなく感じられるかもしれません。

でもよくよく目を凝らしてみると、フラットに見えた彼らの表情にも、微かなさざ波のような感情の起伏があることが分かります。通常僕たちが享受しているのとは別ものの、重みを含んだ感情が。

水の中に沈んで(中略)ゆっくり水をふくんでいって、しみとおっていって、でも最後には(中略)ふくみすぎちゃって、かなしくなるような、そんなふうな感じ、かしらね(「夕つかたの水」)

この感じは、日々Twitter上で「イイネ!」を付けまわっている僕のような俗人には、掴みにいこうとして掴めるものではないように思います。外部からもたらされる類のものではないのです。
タイムラインを流し読むのとは違う、目を凝らさないと確認できないほど微かな感情の機微。
時間がかかりますよ。
一回読んだだけでは11編の物語のどこにも、密やかな感情の動きの尻尾すら見出すことができないかもしれません。何度も何度も、この町に通うしかないのです。こんな時、読み返すのが苦にならないのは、川上流のあっさりとした味付けが効いているんでしょうね。

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匍匐前進でゆこう

世の中の「共感」がもてはやされている感が、人類史上に例を見ない現代。星の数ほどの「イイネ!」が今この瞬間もキラ星のごとく世界中を飛び回っています。

そんな「イイネ!」流星群の熱狂の枠外にある面白さに気付かせてくれるのが、本書『どこから行っても遠い町』です。

読んだ瞬間に「面白い!」と飛び上がるような感動はなくとも、「なんとなく面白そう」な対象にじっくり接近していく時に感じるあの楽しさが湧き上がって来ます。それは世の中に溢れたインスタントな娯楽とは一線を画した「匍匐前進する娯楽」。じり、じり、と進むことでしかたどり着くことのできないのですから、そりゃ「遠い」わけです。そんな町を立ち上げるためかどうかは分かりませんが、意図的にのっぺらぼうな舞台を整え、フラットな人々を住まわせる川上さんのバランス感覚は本当に心地よいものがあります。

「イイネ!」から遠く離れた町で、自分の内側から声が湧き上がってくるのを待ってみませんか?
どうせ梅雨で、外には出られないのですから、じっくり読書してみるのもよいのではないでしょうか。

撮っておきの1冊 クロギタロウ 書漂家 本 読書 どこから行っても遠い町

撮影場所:平荘湖

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この記事を書いた人

クロギ タロウ

1990年、宮崎県生まれ。大阪大学文学部卒業。紙の本を愛し、日々書物の海をただよう書漂家。在学中、2年間休学し小説執筆に挑戦。物語を生み出すことの難しさを知り挫折するも、ますます本を愛するようになる。卒業後は兵庫県の電気メーカーに就職。2018年より、写真と文章で、本を楽しむ人を紹介する「撮っておきの1冊」という活動に着手。本好きで、お話を伺える方を募集中。