【撮っておきの1冊】発酵文化人類学【4撮目】

皆さんこんにちは。
書漂家のクロギタロウです。

そろそろ梅雨のシーズンですが、いかがお過ごしでしょうか。命からがら五月病から逃げ切ったと思いきや、途端に毎日ジメジメって精神衛生上よろしくない。脳みそまでカビちゃいそうなあの日々がやってくると思うと、今から気が重いですね。

嫌ですよねえ、カビ。
生活空間のどこにでもいるんですよね、彼ら。
衣服をカビ臭くし、水まわりをヌメらせ、食べ物を軒並みダメにする。
何だ、人類の敵か君ら。

そんな風に思っておられる方が大多数ではないでしょうか。
僕もそうでした。嫌なもんは嫌ですからね。カビに限らず微生物ってなんか嫌だなー。

でもね、ちょっと立ち止まって考えてみたんです。こんなに一方的に彼らのことを悪く言ってしまって良いのだろうか、と。
人間に置き換えて考えてみると、よく知りもしない相手のことをガンガンに罵倒するのってすごくカッコ悪いですよね

こりゃいかん。
いかにちっぽけな存在であろうと、同じこの星に暮らすもの同士。敬意を持って相手のことを知る姿勢を見せましょう。しっかり勉強して、然る後ボロクソに叩いてやる。

というわけで、目に見えない敵の営みについて学ぶために持ち出されたのが今回の一冊、小倉ヒラク著『発酵文化人類学』なんですが……。

撮っておきの1冊 クロギタロウ 書漂家 本 読書 発酵文化人類学

読み終わった後の僕は生まれ変わっていました。世界に向ける眼差しが変わったと言っては大げさでしょうか。著者の小倉ヒラクさんは言います。

「微生物の視点」を借りれば、この社会のカタチが今までと違って見える。

人である僕たちは、意識しないと人の目線でしかモノゴトを見つめることしかできません。それは人として生まれた以上、仕方のないこと。
しかし「微生物の視点」で世界を眺めるには、意識の解像度を変えてみる必要があります。その最高の水先案内人となるのが、本書『発酵文化人類学』なのですね。少なくともこの本を読んでいる間、あなたの目はミクロ仕様になっていることでしょう。

ミクロの目を持って、そろそろ飛び込んでみましょうか、「人間と微生物の織りなすミクロの不思議な世界」へ!
4回目の撮っておきの一冊、はじまり、はじまり。

【発酵伝道師小倉ヒラク現る】

皆さんはこの地球上で最も繁栄している生物が何かご存知でしょうか。質問しておいてなんですが、焦らしている時間(というか文字数)はないので、解答いきます。

実はね、微生物なんです(目に見える生物が動物&植物、目に見えないのが微生物、という分類です)
(微生物は)「空気中にも土のなかにも、皮膚の表面にも何億、何兆と住んでいる。植物のように光合成するもの、動物のように動き回って他の生物を食べるもの、光も酸素もない地底や深海、氷河や火山でもへっちゃらな摩訶不思議なものもいます。北から南、空から海底まで地球の隅々まで無数の微生物が住んで」いるのだそうです。

それだけ地球で幅を利かせている彼らについて、僕たちはほとんど何も知りません。
なぜか。

目に見えないから、というのが一つ大きな理由でしょう。
そして、単純に難しい。

少し前に『もやしもん』という発酵と関わりの深い漫画が流行りました。農業大学を舞台にして繰り広げられる、菌やウイルスと学生たちとのなんやかんやを描いたもので、楽しみながら目に見えない世界と僕たちとのありように触れることができる、良い漫画です。
しかし、漫画のセリフという平な形に落とし込んでさえ、発酵に関する知識を飲み込むのには苦労した覚えがあります。発酵について知ろうと思うと、化学、生命工学、農学などなど、幅広い分野に横断的に首をつっこむ必要があるからでしょうか。いざねじり鉢巻で発酵について書かれた本を開いていても、専門用語のオンパレードで挫折必至なのです。

万物の霊長ですと調子のいいことを言いながら、僕たちは目に見えない微生物に囲まれたまま、なすすべもなく右往左往するしかないのでしょうか。

撮っておきの1冊 クロギタロウ 書漂家 本 読書 発酵文化人類学

そんな悩める全ホモ・サピエンスを救うべく彗星の如く登場した男こそ、発酵デザイナー小倉ヒラクでした。
全ホモ・サピエンス諸君はこう思ったに違いありません。

(発酵デザイナーってなんだ……)と。

皆さんがご存じないのも当然です。なぜなら発酵デザイナーとは、ヒラク氏の考案した肩書きなのですから。
どうです、のっけからパンチの効いたユニークさでしょう?

そんな世にも奇妙な肩書きを生み出している点からもお分かりいただけるように、この男、只者ではありません。
「発酵、文化人類学から派生して、生物学の基礎や遺伝学、宗教やデザイン、アートなど様々なトピックス」を縦横無尽に駆け回り、人間界と微生物界を楽々と行ったり来たりする博覧強記の変態でありながら、僕たちのような一般ピーポーに向けては尋常じゃないほど分かりやすく発酵について語る口を持つという稀代の傑物なのです。
その語り口がまたポップで、つるつるつるっと読み進めることができてしまいます。それでいて語る内容は確かな知識に裏打ちされていて、心強い。

撮っておきの1冊 クロギタロウ 書漂家 本 読書 発酵文化人類学

発酵デザイナーかく語りき

『播磨国風土記』の発酵に関する記述(ヒラク氏に言わせるとポエム)の超訳に、ヒラク節がよく表れているので、ちょっと見ていただきましょう。

「大神の御粮(ミカレイ)沾れて(ヌレテ)かび生えき すなわち酒を醸さしめて庭酒を献りて宴しき」

「クラシカルな」古語で書かれた本文。

これが、ヒラクさんにかかれば

「神様におそなえしたご飯がカビたら酒になったから、みんなでめっちゃ飲んでごきげんパーティーしたYO!」

となります(国語の古文のテストだったら点はもらえないでしょう)。

さすがにこれはブッ飛びまくった例です。
しかし発酵文化人類学を語るには、文化人類学、神話、システム工学、バイオテクノロジーといった、難しそうな概念や単語があちゃこちゃ飛び交いがちな分野にも触れる必要があります。
それらをヒラクさんは、バッサバッサ「快刀、乱麻を断つ」明快さで説明してくれています。

例えば本書でたびたび話題になるのが、発酵文化を語るうえで欠かせない「手前みそ」のムーブメントについて。

「手前みそ」とは、今流行りの「DIY(業者に頼まず自分で作っちゃうぞ)」のお味噌版といったところです。
普通、僕たち現代人はお味噌やお酒、醤油といった発酵食品をスーパーで購入していますが、たったの100年ほど前には、全部ご家庭で手作りするのが当たり前だったのだそうです。戦後にできた様々な法律や規格をもとにして、今の僕たち、つまり買うだけで自分で作らない「消費者」が生まれ、発酵に関する知識や技術がプロフェッショナルだけのものになりました。
すると僕たち消費者は「味噌とはそもそも何なのか」を忘れてしまいます。
そして「よくわからないものだったらなるべく安いヤツにしよう」ということになり、「メーカーもそのニーズに答えて、原料や製法を妥協した安価な商品を大量供給してしまう」というのです。

この流れを転換させるのが「手前みそ」だとヒラクさんは言います。

いやいや、消費者がお味噌を自作するようになったら、お味噌屋さんは商売あがったりで大ピンチ!になりそうなもんだぞ、という声が聞こえてきますが、甘いですね。白味噌並みに甘いです!

撮っておきの1冊 クロギタロウ 書漂家 本 読書 発酵文化人類学

ヒラク氏のたまわく

「自分でつくれば、お味噌の成り立ちや美味しさの意味がわかる。同時にプロのスゴさもわかる。だからお店で味噌を買うときは、プロをリスペクトしてお金をちゃんと出す。味噌が好きになって毎日味噌汁を飲む習慣が生まれれば、とうぜん消費量が増えて市場のパイが大きくなる。手前みそとプロの味噌は共存することができる。というよりも、つくる人こそが本当の意味でプロを支える人になる」

と。
そして

「文化は、プロとアマが一緒になって育てていくものだ。つくる人がいくら技術を磨いても、その技術を評価できる力が受け取る人にないとやる気も価値も生まれない」

とこう言い放つわけです。
アツくないですか?

しかもこの主張、「味噌」の部分を何か別の生産物や文化に置き換えても、言い得ることなのです。
そう、ヒラクさんは発酵にまつわる言葉を用いて「人類の暮らしにまつわる文化や技術の謎を紐解」いているのです。

これが、発酵文化人類学……!!深い……。
そして、愛がある。

撮っておきの1冊 クロギタロウ 書漂家 本 読書 発酵文化人類学

微生物を視る、世界がみえる

さて、愛という言葉が出てきました。愛って何でしょうね。

僕はこの本を読んでいる間ずっと、なぜか「愛って、なんぞな」という考えが頭の片隅でぐるぐるしていました。読み終えて、本を閉じ、面白かったなぁと、一つ小さなため息をついたんです。
まさにその瞬間「愛って、世界へ向ける眼差しなんじゃあないかしら」という考えがぽっと浮かんできました。
と同時になぜ「愛」というワードが頭を駆け巡っていたのかも、何となく腑に落ちました。

僕たち読者は、この本を読んでいる間ガイドのヒラクさんの助けを借りて「発酵」についてずっと考えることになります。その発酵という「現象」は、定式化できる化学反応なのですが、それを引き起こしているのは肉眼では見えないながらも確かに生きている発酵菌たちです。
そんな彼らと、顕微鏡も何もないはるか昔にご先祖様たちが仲良くしてくれていたからこそ、僕たちは今、美味しいお酒やお味噌汁、たくさんの発酵にまつわるプロダクトの恩恵にあずかることができています。
ありがたいことです。

だけど、なぜご先祖様たちは発酵菌たちと友達になれたのでしょうか。
現代人と違ってパソコンとにらめっこしていなかったから、電子顕微鏡並みに目が良かったんでしょうか?

当然、んなこたないですね。

先人たちは、自分たちが生きる世界に関する体系化された科学的知識を持っていなかった代わりに、もんのすごい「自然に対する興味」を持っていたんです。

人が何かに興味を持つとどうなるか。
めちゃくちゃ観察するんです。

好きな子のこととなれば、どんな些細なことでも知りたくなりますよね。それと一緒です。

大好きなあの子の髪型がほんの少し変わっただけでも気付くのに、一緒に暮らしている家族の髪型が変わったのには気付かないなんて、よくある話ですからね(それは僕が鈍すぎるだけ?)

……何の話をしていたんでしたかね。
あぁそうだ、目に見えない微生物界に対する観察の話でした。

観察はその対象にグイッと目を向けないとできません。それはもう目を皿のようにしないと、見ているものの奥深くには入っていけません。
奥へ奥へと向かっていくうちに、いつしかそこから目が離せなくなる。観察対象なしではいられなくなる。
好き好き大好き症候群ステージⅣ、すなわち「愛」に到達するのです。

これが僕の「愛って、世界へ向ける眼差しなんじゃあないかしら」です。

嘘だと思っているそこのあなた。
『発酵文化人類学』読んでみてくださいませ。

ここで僕が書いているようなことなんか比じゃないくらい濃密なヒラクさんの菌に対する愛、すなわち「世界に対する愛」並べ立てられてますから。

梅雨のジメジメが吹き飛ぶこと間違いなしの発酵パンチ、喰らってみましょ。

撮っておきの1冊 クロギタロウ 書漂家 本 読書 発酵文化人類学

Follow me !!

お仕事(インタビュー・取材など)の相談は
こちらから。

この記事を書いた人

クロギ タロウ

1990年、宮崎県生まれ。大阪大学文学部卒業。紙の本を愛し、日々書物の海をただよう書漂家。在学中、2年間休学し小説執筆に挑戦。物語を生み出すことの難しさを知り挫折するも、ますます本を愛するようになる。卒業後は兵庫県の電気メーカーに就職。2018年より、写真と文章で、本を楽しむ人を紹介する「撮っておきの1冊」という活動に着手。本好きで、お話を伺える方を募集中。