【撮っておきの1冊】目であるく、かたちをきく、さわってみる。【1撮目】

みなさん初めまして、書漂家のクロギタロウです。
紙の本を、写真と文章で味わうことのできるコンテンツを目指して、加古川の隅っこで産声をあげた「撮っておきの1冊」。はじめましての第1撮目は、2011年に港の人が発行した、マーシャ・ブラウン著、谷川俊太郎訳『目であるく、かたちをきく、さわってみる。』

撮っておきの1冊 クロギタロウ 書漂家 本 読書 目であるく、かたちをきく、さわってみる。

タイトルを目で追って、「おや?」と思ったそこのあなた。僕はあなたのような方にこそ、ぜひこの本を読んでいただきたいと思う。

確かに妙なタイトルである。特に「目であるく」なんて意味不明な日本語だ。
反対に、タイトルを一瞥してニヤリとされた方々におかれましては、ここで速やかにブラウザバックしたのち、palette内の他の魅力的な記事をお楽しみいただくことを強くお勧めする。なぜなら本文を読む前にこの標題の言わんとすることを察することができた人は、この本を読み通したも同然と言っても過言ではないからである。

一言で言うならば、このよくわからないタイトルに著者の全ての想いが込められているのだ。一体どういうことなのか、これから順を追って書いてみるので、しばしお付き合いのほどを。願わくは一人でも多くの方がこの本との出会いを望まれんことを。

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マーシャと俊太郎


著者のマーシャ・ブラウンさんは、アメリカでその年最も優れた絵本に贈られるコールデコット賞を3度も受賞している絵本作家。代表作のひとつである『三びきのやぎのがらがらどん』は、子供の頃に読んだことがある人も多いのではないだろうか。僕もよくおやすみ前に母に読み聞かせてもらった記憶があるのだが、読み聞かせの後、布団を被ってからトロルのあのギョロリと大きな目玉がまぶたの裏に浮かんで眠れなかったものだ。

訳者の谷川俊太郎は言わずと知れた日本を代表する詩人である。説明不要。だが一応。

1952年に詩集『二十億光年の孤独』でデビューして以来、歌の作詞をしてみたり(鉄腕アトム)、映画の脚本を手がけてみたり(火の鳥)、スヌーピーでおなじみの「ピーナッツ」や、「スイミー」の翻訳をしてみたりと、60年以上にわたって常にフロントランナーであり続けた谷川さん。その作品は世界中で愛され、今もなおその旺盛な好奇心は衰えることを知らず、日々僕たちに新たなワクワクを届けてくれている。

世界で愛される絵本作家と詩人がタッグを組んで、一体どんな素敵な本ができあがったのか。読む前から、いやがおうにも期待が高まるだろう。本を紹介する僕の肩にも力が入る。

狂騒の時代の再来?

だが内容の紹介に入る前に、少し聞いていただきたいことがある。皆さんはこんな話を耳にしたことはないだろうか。
ここ数年の間でバブル時代のファッションが復活の兆しを見せている、と。

僕の周りでも、全体的に濃いめのハッキリしたメイクをしている若い女性を見かけることが多くなったような気がしている。2017年大晦日のNHK紅白歌合戦で、凶器のような肩パッドが入ったスーツに身を包んだ、登美丘高校ダンス部の女の子たちがパフォーマンスを披露して話題を呼んだのも記憶に新しい。

なぜ僕が突然こんな話をしたのかというと、この本が今この時代に出た意味について思うところがあったから。実はこの本は1979年にそれぞれ独立して出版された『めで あるく』、『かたちを きく』、『さわって みる』の3冊(いずれも佑学社 刊)を、30年という時を経て1冊の形に再構成したものなのである。
1979年というと、日本中が熱に浮かされていた1980年代半ばのバブル時代前夜。米ソの対立が深まり、その一方で翌年の80年には日本の自動車生産台数が初めて世界一になったという、まさに世界規模での不安と狂騒がモザイクに入り混じった、混迷の時代だったと言えるだろう。

そんなヒリヒリした時代に、マーシャさんの3冊は産声を挙げたのであった。

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ひるがえって本書が再刊された2011年から昨今にかけての世界はというと、3.11が発生し、テロ事件のニュースを見ない日はなくなり、アメリカ第一主義を掲げるトランプ大統領があちこちに火のついた煙草をポイ捨てして、北朝鮮はヤケになったかのような花火大会と、世界は静かにどうしようもない方向に向かいつつあるように思われる。
そんな中で日本はというと、何がどうよくなったのか誰も実感していないのに、日経平均株価だけが糸の切れたタコのように舞い上がり続け、オリンピックさえあれば何でもできるとでも言うかのように、体力度外視のお祭り騒ぎで人々が踊り狂うという、ある種のフィーバー状態に陥っている。船体がボロボロと剥がれ落ち続けているが、猛スピードで大海を進み続けているがために誰も降りることのできない船に、地球全体で乗り合わせているかのように感じているのは僕だけだろうか。

お腹の底では不安がジクジクしているのに、うわべでは訳もなく世間が浮ついているこの状況、これはまさしくあのバブル前夜そのまま。そんな時代にマーシャさん、谷川さんの言葉たちが、港の人という小さな出版社から再び投じられ、僕たちに語りかけてくる。

もう一度「目であるこう。かたちをきこう。さわってみよう」と。

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駆け足の世界を、歩く

ここで本書のこんな一文を見てもらいたい。

詰まっている。
凝縮されている。
感じてほしい。

「目はみえる
うまれたときから
でもみることは
みえることとは
ちがう。

みること
それは 目で あるくこと
あたらしいせかいへと。

ゆっくりあるこう
こころを
いろんなものに ぶつけながら
いろんなものに くすぐらせながら」  

大事なのは、「ゆっくり」である。
これは「きく」こと、「さわってみる」ことにも共通して言えるのだが、時代の奔流の中でもみくちゃにされていると、あらゆるものが一瞬で過去になってゆく。台風の最中、氾濫する川の中に身一つ投げ込まれたと考えてもらうとより分かりやすいだろう。

暴れ狂う激流の中にあって、

「あめにやぶられた すを なおしている くもを みまもること」

ができるだろうか。
轟々と吠えながら耳に飛び込んでくる水の音を押しのけて、自分を呼ぶものの声を聴き取ることができるだろうか。
圧倒的な水の圧力にあらがって、流されてきたものをその手ですくい取ることができるだろうか。

見ようともしないだろう。
聴こうともしないだろう。
すくい取ろうという気にもなれないだろう。

そういう状態になっていないかな?
そういう状態って寂しくない?

ゆっくり歩いてみませんか。
あくせく頑張らなくたって、そこにある世界はいつだって美しい。


マーシャさんはそんな思いを、駆け足の世界に投げかけたように感じられる。 谷川さんも訳者あとがきにこんなことを綴っている。

「マーシャさんはふつう私たちが美しいと感じないものも、たくさん写真に撮っています。でもそれらの写真を見つめていると、初めは美しく見えなかったものが、だんだん美しく見えてきたりはしませんか? 
何かをじっと見つめること、それはその存在に心がより入りこむことです

やっぱり。やっぱりそうなのだ。
「見つめて」いるうちに「だんだん美しく見えて」くるためには、その対象と「ゆっくり」向き合う必要があるのだ。

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世界を歩く。世界を選ぶ。

あるがままの世界は、あるがままで美しい。ただ、それらは歩く速度じゃないと目に留まりにくい。さらに深く向かい合おうと思ったら、立ち止まってみることも必要かもしれない。

マーシャさんや谷川さんと同じ思いは、誰もが本当は胸に抱いているのだと思う。でも、それに気付いていないかのように脇目も振らずに走り続けていないと、置いていかれるんじゃないかと怯えている。それは僕達が知らず、世界は自分の外側にあって、どこかに走り去ってしまうものだと思っているからなのかもしれない。

だけど本当はそうじゃないんだよ、ということを僕達に伝えるために、マーシャさんは彼女の十八番である絵本という形式をとらず、あえて写真という表現を選んだ。そこにもこの本の面白さはある。

絵本と写真、どちらも視覚的な表現であることに違いはない。しかし、絵本はあくまで彼女の頭の中から紡ぎ出された世界だ。

一方で写真はというと、実際に彼女が自身の目で自分の中に取り込んだ世界。見るという行為を通して彼女が選び取ることで生まれた世界である。写真の方がマーシャさんの実感を、より彼女に近いところで感じ取ることができる。だからこその写真という選択だったのだ。

僕はこの本を読みながら、ふと、マーシャさんが隣で一緒にページをめくっているかのような気分になることがある。
彼女は言う。「みることで みえるものを じぶんのものに しよう」と。
この本を読むということは、彼女のものになった世界に入っていくということだ。だからこそ読者は一人でこの本と向き合っていながら、マーシャさんを感じられるのかもしれない。

皆さんも、マーシャさん、谷川さんと連れ立って、目であるき、かたちをきき、さわってみてはどうだろうか。
少しだけ、世界に、そして自分に優しくなれるに違いない。

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この記事を書いた人

クロギ タロウ

1990年、宮崎県生まれ。大阪大学文学部卒業。紙の本を愛し、日々書物の海をただよう書漂家。在学中、2年間休学し小説執筆に挑戦。物語を生み出すことの難しさを知り挫折するも、ますます本を愛するようになる。卒業後は兵庫県の電気メーカーに就職。2018年より、写真と文章で、本を楽しむ人を紹介する「撮っておきの1冊」という活動に着手。本好きで、お話を伺える方を募集中。