一つかみの砂金【兵庫県播磨地域のクリエイター・アーティストコラム】

こんばんは。
播磨地域の魅力を発信するメディア「palette」のロペスです。

「学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。」

この言葉、誰の言葉か知ってます?
太宰治っていう、めっちゃ有名な文豪の言葉なんですけど。
『人間失格』『ヴィヨンの妻』っていった、結構闇の深い作品を書いている人です。

教科書でよく知られる『走れメロス』のような熱い友情や苦難と戦う物語も書いてるんですが、同じ人間とは思えないくらい陰陽の差があります。

まあ紹介はおいといて、上記の名言なんですが、先日友達と飲んでる時にふと思い出しました。
どういった話をしていたかというと、「どいつもこいつもコンテンツへの愛が足りねぇよ!」っていう話。

加古川ライター、ロペスのライターコラム。
今回は「コンテンツを愛する」って、どういうことなのかについて、所感を書いていきます。

​消費されるコンテンツ

「愛が足りねぇんだよ」

姫路の酒屋の片隅で、グラスを傾け紫煙を燻らせながら男がこぼす……。

そんなハードボイルドな感じならカッコつけようがあるんですが、実際飲んでるのは20代前半の男子二人。
安い酒を水のようにあおり、愚痴をこぼし合うのが現実ってもの。

「俺は愛が足りてねぇと思うんだよ」

アルコールでゆでタコになった顔で、愛を語る友人。
別に恋人とうまくいかないとか、そういう話じゃなくて。
彼が言いたいのは「コンテンツ」に対しての愛。

その時の題材は「映画」だったんですが、どれもこれの商業的で一過性のもので、流行り廃りの中で消費されていってしまうとのこと。
みんな飛びついて、骨の髄までしゃぶりつくして、味がなくなればポイ。
それじゃいかんだろう。
良い映画は生まれないし、残っていかない。
そんなことを悲哀に満ちた表情でぼやいていました。

確かにその点は自分もつねづね思うところ。

昨今どのコンテンツも(例えば音楽、本、映画。記事などなど)一過性の流行りに乗ってつくられ、見てる側もそれに乗っかってはしゃいで、時期がすぎれば記憶から無くなっていく。
刺激的で、キャッチーで、大衆の興味関心を引けりゃいいって感じのハリボテコンテンツが多い。
そんなやり取りの中で、友人がこぼしたのがさっきの一言。

「愛が足りてねえんだよ」

そう、それ。
本当にそう思う。

創り手も受け手も、「本当にそのコンテンツを愛しているのか」というところで、足りていないんじゃない?って思う。
創り手はその時の流行りに乗っかって、その時売れるものを作って、それでいいのか。
10年後今を振り返って、そのコンテンツが時代に爪痕を残したって言えるのか。
何か人々に影響を与えられたのか。

受け手はとりあえずわかりやすくて、エモそうなコンテンツを好み、時期がすぎればバイバイさよなら。
それでいいのか。

良くねぇよな。
俺は良くないと思う。
そんなことを言い合いながら、グラス片手に夜に沈んでいました。

​愛されるコンテンツとは何か

創り手として、「愛されるコンテンツ」って何なのか。
それを考えた時に出てきたのが、最初に紹介した太宰治の言葉。

「学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。」

学問といった題で書かれていますが、これは他にも言えること。
どんなコンテンツでも、本来は「それを通して何を伝えるのか」を目的にしてつくられる。
今の時代、膨大な量のコンテンツが世の中に溢れ、一つ一つ丹念に向き合ってもらうのは難しい。

その中で。
その中で「一つかみの砂金」を残せるような、人に何かしらの影響を与えられるようなコンテンツをいかにつくるか。
これが愛されるコンテンツとして、大事なことなんじゃないかなと。

人間育っていく上で、色んなものに影響受けるじゃないですか。
本や音楽や映画ってコンテンツもしかり。
そこから心に残った砂金をどんどん増やしていって、人間出来上がっていくわけで。
創り手は、コンテンツを通してどういった人たちを育てたいのか、どういった社会を作っていきたいのかっていうところまで考えて始めて、良いコンテンツをつくれるんじゃないかと思います。

​コンテンツを愛するとはどういうことか

視点を変えて「受け手」ならどうか。
一体コンテンツを愛するって何なんだよって話なんですが、これにはちょっとした持論があって。

「コンテンツに金を払う」
「人に勧める」
「次世代に語り継いでいく」

の3つだと思っています。

最近自分の好きな雑誌が「次号制作未定」という、衝撃的なニュースを聞きました。
「WIRED」って大好きな雑誌、これが次号出るかどうかわからない。
最初聞いた時は

「え!?なんであんなに良い雑誌が!!」

ってなったんですが、よくよく考えてみると、自分はその「WIRED」に対して、何かしてきたのかというとそうじゃない。
買ったのも数冊で、だいたい友達から借りてました。

結局どれだけそのコンテンツを良いと思おうが、読む人が少なくなったり、金を払う人が少なくなれば、当然つくれなくなりますよね。
自分もそこに金を払わず、人に勧めず、ただ自分の中で消費しているだけだったので、それを棚に上げて「あんなに良い雑誌がなくなるのはおかしい」なんて言えないなと思って。

本当にコンテンツを愛しているなら、それを応援する意味で、製作者たちが食っていけるように金を払うべきだったんです。それを怠ってた人間が「私達なにも協力しませんけど無くなったら嫌なので創り続けて下さい」ってのは、ちょっと違うじゃないですか。
そのコンテンツが好きで、愛していて、残していきたいものなら、金を払って人に勧めて次世代に語り継いでいかないと、消えていってしまう。

そういった意味でも、ただ消費するんじゃなくて
「私はあなたのコンテンツが好きで、この先もたくさん作っていってほしいし、それを応援しているよ」
ってお金を払うこと、そしてそれをたくさんの人に広めていくこと
が大事なんじゃないかと思います。

前章でも述べた自分の人生に影響を与えたような、心の底に「一つかみの砂金」を残したコンテンツでも、残していこうという努力をしなければいずれ消えていきますからね。
そうしたくないなら、コンテンツを消費するだけでなく、何らかの形で応援していく方法を考えないといけないんじゃないでしょうか。

​終わりに

長くなった。
だいぶ長くなった……。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
自分自身、コンテンツの受け手として反省すべきところもあり、また創り手として意識していかなければならないところもあり……。

みなさんにとって、コンテンツとの向き合い方を考える機会になれば幸いです。
たぶん、それがこの記事の「一つかみの砂金」だと思うので。

変わり始めた播磨地域のクリエイター・アーティストたち

2018年末。paletteに関わってくれている播磨地域(主に加古川市・姫路市)の若手クリエイターやアーティストたちの交流会「paletteフェスタ2018」を実施。

加古川市・姫路市で活躍している若手クリエイター・アーティスト・地域プレイヤーが集いました。

そこから徐々に彼らが「播磨地域の同世代のクリエイター・アーティストを応援する」動きをするようになってきました。

自分たちの住む地域のクリエイター・アーティストたちに目を向け、彼ら彼女らの活動を応援するようになってきたこの流れ。コンテンツを愛し、育んでいく人たちが増えてきて本当に嬉しいです。

paletteでは今後もこうした交流会だけでなく、コンテンツを愛し、クリエイター・アーティストを愛してくれる人たちを育てるべく活動を継続していきます!

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この記事を書いた人

ロペス

1992年、奈良県生まれ。少年の心を忘れない26才児。paletteの編集長兼ライター。通称「ロペス」。畿央大学教育学部を卒業後、東京の人材派遣会社に就職。その後小学校教諭、塾講師、認定子ども園保育補助を経て現職。人、モノ、場所の魅力を引き出し、記事として発信するため日々奮闘中。目下の悩みは「終わらない成長期」。ダイエット方法募集中。